このシリーズで分かること
- なぜ神戸が関西最大の港になったのか?
- 異国情緒あふれる街の秘密とは? ←今回
- 観光からは見えない神戸の一面とは?
今日紹介するのは、神戸を代表する観光地の北野異人館と南京町です!
わたしは両方行ったことがありません…北野異人館といえば、ヨーロッパ風!私はヨーロッパだとイギリスに行ったことがあります。でもなんか建築様式は違う気がしますね~

また南京町に関連することでは、修学旅行で台湾に行ったことがあります!そのときあまり中華料理っぽいものを食べられなくてですね…挽回に南京町に行ってみたいです!
北野異人館にある秘密とは?
秘密1つ目!居留地なのに山沿いにあることです。
ふつう居留地(外国人のおうち)といえば港の近くやろ!って思いません?長崎の出島を思い浮かべると分かりやすいかもしれませんね~
しかし、これには明確な理由があったんです!
北野異人館ができた歴史
- ラベル明治初期
神戸港が開港されて、外国人がたくさん入ってくる。
→居留地が足りなくなる!
- ラベル明治3年ごろ(1870)
近くの生田川の付け替えを行い、山手が整されたので、居留地の造成を許可!
- ラベル昭和14年ごろ(1939)
外国人退去により、居留地の役割が失われる。
空襲被害によりかなり建物が失われる。
- ラベル戦後
マンション開発により、建て替えが進む。
- ラベル昭和55年(1980)
伝統的建造物群保存地区の指定をうけ、観光地化!
なるほどほんとは港にもあったけど、需要増でむりやり山沿いにも作ったのかと分かりました!疑問が一つ解消です。

2つの川(青線)の間に、居留地の許可
現在の北野異人館は赤矢印
山沿いにあったキセキ!?
疑問2つ目です!なぜ異人館は戦災を逃れられたか?です。
現在残っている居留地は調べみると3か所しかないみたいです。全部で7か所もあったのに…つまり神戸に異人館がここまで立派にのこっているのは、当たり前ではないという訳ですね!
実は、現在の異人館は山沿いに集中しています。上の歴史で見ましたか?戦災によって失われた異人館もあったわけですが、なにか偶然を感じませんか?ということで、今からはこの「残ったキセキという偶然」を調べてみましょう!

地理院地図をもとに自分で作成
上の図は神戸空襲の被害範囲を検索結果をもとに作成した図です。オレンジ色が被害範囲です。必要のある範囲のみに着色してあるので、端のほう(灘区、兵庫区)は被害アリでも着色してませんm(_ _)m
これを見ると山沿いの異人館のあたりが被害を受けていません。山沿いですから、住宅も希薄で工場もなかったからと思います。
居留地の拡大で山沿いまで広げたという偶然が、空襲の被害から逃れたというキセキにつながったわけです!なんかむりやり話つなげましたけど、なんかすごいですよね!!!
珍しいタイプの居留地?
最後は個人的な疑問です!この居留地少し特殊じゃない?と思いました。
なぜか外国人の居留地って一般人と分けるのですが、この地域では違っていました。専用区域でなく日本人との雑居(ふつうの住宅街のなかに外国人の家ができる)の方式で居留地の許可を出したわけなんですが、少し特殊かな?と思ったのでGaminiに調べてもらいました。
| 都市名 | 区分 | 雑居(混住)の状況・特徴 |
|---|---|---|
| 箱館(函館) | 全面的な雑居 | 居留地の計画が有名無実化し、市内全域での雑居が基本となった。 |
| 新潟 | 全面的な雑居 | 居留地そのものが建設されず、市街の全域が雑居地となった。 |
| 神戸(兵庫) | 限定的な雑居 | 居留地の完成が遅れたため、生田川〜宇治川の間を限定的な雑居地とした。 |
| 長崎 | 部分的な雑居 | 原則は居留地限定だが、ロシア軍人向けに稲佐(対岸)での雑居を例外的に容認。 |
| 横浜 | 原則分離(雑居なし) | 「関内」と「山手」の居留地限定。日本人との居住分離が最も厳格だった。 |
| 大阪(川口) | 原則分離(雑居なし) | 川口居留地限定。のちに周辺に拡大するも、当初は分離。 |
| 東京(築地) | 原則分離(雑居なし) | 築地居留地限定。商業的には振るわず、特殊な街となった。 |
※1899年の条約改正(内地雑居)により制度は廃止。
以外と雑居が多かったようです、びっくり。え~と勘違いだったみたいですね(笑)
日本は西洋の技術に追いつこうとしていたので、「お雇い外国人」という高度な技術を持った外国人を受け入れていました。彼らに帰られると大変なので、雑居にしても住宅を確保しようとしていたのではないかな、と個人的に思ったりします。
ともかく、まとめです!
北野異人館が生まれた理由!
1、神戸が開港場に選ばれたこと。
2、キセキ的に戦災を逃れられたこと。
南京町のこれなんで?
何も知らないでも楽しめる街ですが、疑問探しをしてみるとなかなか面白いんですよ?ということでこの章では、私の考えた、「南京町のこれなんで?」を紹介していきます!
海沿いにある中華街
北野異人館は、山沿いにあったことで助かったと紹介しました。でもこの南京町は”海沿い”なんです。あれ?「中国人は居留地に住まなかったんですか?」ここまで記事を読んだ私はそう思います。
実は、居留地って当時の条約(日米修好通商条約など)によって定められていたんですが、締結した相手国に中国(清)は無かったので、居留地エリアに住めなかったんです!
条約に関係なく、貿易はある!だから、少し離れた海沿いの地域に中国人街ができて、そのまま南京町になっていったみたいです。
そもそもなんで”南京”?
これは南京町について私が調べていた時に、見つけた記事で面白いな!と思ったので細かく見ていきたいと思います!
- 江戸時代知名度の広まり
長崎にやってくる船の多くが”南京船”という名前だった
なぜ南京船か?
当時の巨大王国の明の首都だったからですね!経済・文化・政治の中心地、今でいうアメリカのニューヨークみたいなトコですね~
→中国の代名詞「南京」的な感じになる。(ブラジルといえばサッカー的な?)
- ラベルたくさん使われていく
大陸から渡ってくる物・人に、親しみを込めて”南京”を付けたりする!
→なんきん(かぼちゃ)が一番有名ですね~
- 明治ごろ街の名前
同じような流れで、中国人街は”南京町”になる。
ここで更に1つ疑問です!
- Q横浜は”中華街”ですよね?
- A
実はですね..時代が進んでいくと、広大な中国のたった一つの街の名前を使うっておかしいなあとなってくるわけです。
まあ大阪出身なのに、海外旅行して「とうきょー、とうきょう!」って言われても、もやっとしますよねきっと。横浜ももともとは”南京町”だったんですが、住んでいる華人に配慮して名称変更したみたいです。
で、神戸の南京町はというと、変更したかったみたいなんですが既に定着していたみたいで断念したようです。まあ現地の商店街の方が決めるものなので、外部の私たちが良い悪いを判断することじゃないですけどね!
いろいろ調べてみると、名前をよく知っているだけだなって痛感しましたね…知らないことばっかりです!
神戸旅行するときは、ぜひこの記事を思い出してください!!!
次回予告です。
旅行となれば、当然ですが観光地!キラキラ目立っていい感じのものに目が惹かれる~
しかし今回注目するのは、絶対気づかない神戸の一面。人気観光地の裏に、30年前の教訓が…。神戸に行くなら学ぶべき少し重たい歴史があります。
ぜひ次回も見てください!
▼主な出典・引用・参考文献など
南京町商店街振興組合 南京町について | 神戸の中華街・南京町へようこそ!
アイキャッチ画像はNana Banana2より記事を読み込ませて生成。

コメント